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経営者/従業員

     

 ステークホルダーの分類で、経営者/従業員というくくりをするのは、TBLがジャパン・スタンダードを方針としているからです。そのままいつかグローバル・スタンダードになるべきと考えています。

 経営者/従業員というこのくくりは、アメリカではまだ理解されないでしょう。ヨーロッパでは意外としても理解は示すでしょう。
 日本の経営者は、多くが従業員からの生え抜きで、そう遠くには感じない存在です。中小企業の創業経営者でも、現場からの叩き上げで、従業員と肩をならべて働いてきたのです。

 これにくらべて、アメリカの経営者は、従業員からはるか高みにある存在です。ヨーロッパでは、日本とアメリカの中間に位置するでしょう。
ちなみに経営者の報酬もこのことときれいに比例します。アメリカ、ヨーロッパ、日本の順に低いのです。

 経営者と従業員とのあいだのこの距離は、かならずしも短所長所にはなりません。しかし、健全な経営が行われている企業においては、原理的に短いほうがよいといえます。経営という行為そのものが、従業員のなかから、次代の経営者を育み、また自ら育っていくものだからです。

 こうした関係をみるとき、従業員がステークホルダーであるように、経営者もまたステークホルダーではないか、とういう問いがわいてきます。これがここでの最初のテーマです。

経営者はステークホルダーか
社会人(従業員)としてのステークホルダー

経営者はステークホルダーか

 この問いのこたえはかんたんです。経営者は、企業の代理人という名のステークホルダーです。
 企業は自らを主体者とする、社会の公器であり、誰のものかといえば地域社会のものです。したがって機関としての経営者は、企業の主体者でもなければ、所有者でもありません。
企業の主体者のようにもみえますが、事実は主体者でなく代理人としての顔をもっているだけです。

 企業の代理人としての経営者は、主体者としての企業から受託 entrust して経営にあたります。事実は企業のもうひとりの代理人である株主からの信任 trust というかたちをとります。
 株主とともにステークホルダーである理由です。代理人としての株主は、経営者をモニターし、代理人としての経営者は、公的に企業を代表し、て取引契約を行ない、代表者印を押して企業を保証します。

 主体者としての企業は、ステークホルダーとしての経営者に、どういう影響を与えて行為を導き、また、どういう負荷を与えて行為を制限するか、という問題を考えて見ます。

 第一に、影響という点では、経営者もまた、サステナビリティが基本的なテーマであるということです。それがそのまま行為を導くものです。企業が公器である以上、ゴーイング・コンサーンは、社会の将来のためにあり、そこでの価値観は、公人として歩むことにほかなりません。
 企業は、経営者にそうした価値観をもってもらわなければなりませんが、それは経営者の条件ということになります。

  ・経営者の条件

 人物という点では、経営者として評価する原則があります。幕末の志士真木和泉は、こういっています。

 「節義は例えていわば人の体に骨あるごとし。骨なければ首も正しく上にあるを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず。されば人は才能ありとても、学問あるとても、節義なくては世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり」
 士を人と、あるいは経営者と翻訳すれば、一目瞭然です。公人論です。

 経営倫理学の宮坂純一氏は「企業は倫理的になれるのか」で、経営者の資質を、O.ティードとC.I.バーナードの説を比較して、バーナードの「個人の目的より共通の目的の方が優先するという信念」があることが第一義的な資質であるといっています。やはり公人論です。

 ティードの上げた資質は、
1.肉体的・精神的エネルギー 2.情熱 3.友誼的かつ親愛のある行動 4.誠実 5.専門的技能 6.決断力 7.知性 8.ティーチング能力 9.信念、です。

 バーナードのそれは
 1.組織人格になりうる能力、忠誠心、責任感 2.個人的な能力(1.一般的能力《生まれつきのもの》、機敏さ、広い関心、融通性、適応能力、平静さ、勇気  2.専門的能力《訓練によって発展させることができるもの》)。

 バーナードが「組織人格」といっているのが公人であり、「組織人格になりうる能力」として上げているのが、忠誠心 loyalty、責任感 sense of responsibility です。

 ちなみに、ここにひとつ落とし穴があります。
 忠誠心、責任感は、誠実 integrity といってもいいのですが、この第一義的な資質は、組織への誠実ということにもなります。すると、組織の共通の目的ごとに誠実が異なることにもなります。
 この場合、組織の共通の目的が、社会通念と異なって(反して)いたとすると、その誠実をつらぬくことが正義ということになります。その正義は反社会的行為になりかねません。

 CSRがこれまでの歴史的な経営倫理や経営者信託とははっきり異なるところが、ここです。従来の自律性は、企業利潤という方針に制御されていました。その方針に信任された行為は、先のような不正の正義を招きます。

 公人というのは、組織のために公人であるのではありません。社会のために公人であって、その一部に組織人としての公人があるのです。

・公人であること、使命があること

 企業が経営者にサステナビリティとして与える影響が、公人として歩むことであるとき、与えるかもしれない負荷は、経営者として新任されるときに起こります。

 主体者としての企業から信任されまた受託するとき、すなわち就任にあたって、経営者はその原則にもとるような外部的な影響力がかかることがあります。ステークホルダーとしての本来的な負荷となるものです。

 そうした圧力には、株主・投資家の株価至上主義、経済社会の市場原理主義、前任者の有形無形の意向などがあります。
 それは、新任者をスポイルします。とくに使命と使命感を損ないます。経営の浪費、怠惰につながりかねません。それらの影響は、あらかじめ把握され、原則にもとる場合は、排除されるか、低減されなければりません。

 影響力を与える旧体制は、それをよくわきまえた上、圧力にならない行為を心がけなければなりません。
 双方の立場を共通のものにするものとして、ベケット原則を了解することがよいでしょう。

 トマス・ベケット*は十二世紀のイングランド人騎士にして聖職者。はじめ、ヘンリ二世の、腹心にして股肱の臣でしたが、カンタベリー大司教に任命されるや、一転、粗衣をまとい、教会と教義を奉じて王の命に背きます。ついに王によって暗殺されますが、埋葬のとき、ベケットの背中には、自らを打ったおびただしいムチの跡がありました。人々はベケットを悼み、ローマ法王は追悼して聖トマスとなり、聖人に列しています。

 この世がベケットに与えた使命そのものに、彼はただ忠実であろうとしたのです。そのときどきの使命がベケットには至上のものでした。  人は使命に生きるものです。使命で動くものです。他のステークホルダーと同じく、経営者もその点はかわりありません。

 *トマス・ベケット (→ことばの意味)

 UP

社会人(従業員)としてのステークホルダー

 従業員 employee は、雇用者 employer に対する被雇用者のことで、資本家 capitalist に対する労働者 labor です。いずれも法的な権利をもつ存在ということになります。生産者に対する消費者と同様です。

 社会的な存在としては、働く人、仕事をする人のことです。働く、仕事するは、english ではどちらも work で、仕事、労働、作業のほか、勉強、研究、努力、任務などの意味があります。法的な権利義務以上のものになります。

 したがって、ステークホルダーとしての従業員は、まず仕事する人としてとらえなければなりません
 仕事をする人の適当な日本語がありませんが、労働者に対する社会人に相当します。消費者に対する生活者と同じです。

 日本語の社会人は特殊なことばです。いっぱしの社会人としてというのは、ちゃんとした仕事についたという意味ですが、家庭から世の中にでたことを意味します。そしてその根幹には公という概念があります。
 そこがほかのことばとは異なるところです。企業が公器というのも、政府・行政に法人登録した時点で発生する概念です。

・才能と機会

 社会人がもつもので、生活者のライフスタイルに相当するものが、個々人の人としての才能 talent です。
 S.スマイルズは、「 Character (邦訳:向上心)」でつぎのように述べています。「働くことは、重荷であり懲罰でもあるかもしれない。しかし同時に誇りであり名誉でもある。働かずしては何事も成就しない。人間の内に秘められた才能は、仕事を通じて完成されるのであり、文明は働いた産物といえるのである」

 働く人、仕事する人は、才能の人であるということです。
 今日、被雇用能力(employability=雇用される能力)といわれることがありますが、同じものではありません。才能は、あらかじめ具わっていて、発揮される機会を待っているものであり、エンプロイヤビリティは、機会をえた後、しだいに開発されるべき能力、技量です。

 スマイルズが、才能は仕事を通じて完成されるというのも、仕事そのものが才能を発見し、技量を拓き、大成していくということを意味しています。
 そしてそういう仕事は、人にとって天職 vocation となり、使命 mission となります。天職と使命とは同じものです。
 そして使命としての仕事の機会は、いつもどこでも、まず人に開かれていることが重要になります。

 したがって、企業が、ステークホルダーとしての社会人(従業員)に、将来にわたって与えるべき影響は、第一に、多種多様な仕事そのものを、つねに開いておくことです。
 それは企業がすべての事業部、すべての部署において、どういう仕事を、どのようにして行ない、どんな技量をみがき、どんなものをつくりだして、どう社会に資しているのかということを、従業員がいつでも見て試すことができるような環境です。

 ちなみに同様なオープンカンパニーを、地域社会に対して行なうことは、有為な社会貢献事業です。一般社会人、学生・生徒にとって、自分に目覚める仕事を発見する機会となるからです。

・ディーセントワーク

 1999年に新任したフアン・ソマビア事務局長が、21世紀ILO(国際労働機関)の理念として提起したディーセントワーク*も、このことを語っています。

 定義は、「権利が保障され、十分な収入を得、適切な社会的保護のある生産的な仕事」とされていますが、それだけではありません。このことばの本来は、正しくディーセンシー decency であり、時とところと才能をえた仕事が、人の仕事であるべきという意味です。仕事する人は、才能の人、その才能が生かされれば、世界の飢餓と貧困も撲滅できるというのです。

 *ディーセントワーク(→ことばの意味)

・使命を損なわないこと、怠惰を助長しないこと

   第二に、現在の問題です。企業が、社会人(従業員)としてのステークホルダーに与えるもののうち、著しい負荷になりうるのは、仕事についているなかで、人の使命を損なうような施策、人の怠惰を助長するような行為です。それらが起こることがないよう律していかなければなりません。

 成果至上主義は、株価至上主義と同様、個々人の短期成果を要求しますから、本来、長期的であり集団的でもある個々人の使命を損ないます。使命の達成のために必要とする、個々のスキルとキャリアの計画的な進捗もままなりません。QCなど集団活動でつちかってきた精神も損なわれかねません。

 関連して、スキルの進捗がとどこおれば、人の自信の喪失を招き、自主的な課題解決への取り組みを損なうことになります。ひいては、与えられた目標、与えられた仕事のみをするという消極的な仕事になりかねません。

 一方、テーマをもつ集団活動は、それ自体が人のコミュニケーションの場として有効なものです。仕事またテーマとは別に、コミュニケーションそのものとしての存在意義があります。怠惰という、社内ニートのような存在を生み出すのを防ぎ、社会不安障害(SAD)などの発生も予防できるかもしれません。

 怠惰とは、本来、使命としてある仕事を、ただ重荷と感じ、したくないという理由で、仕事をしない、またはさぼってしまう状態です。そしてそのまま無為に流されることです。無為の時間は、人と人のこころをむしばみます。

 もちろん休息は浪費ではありません。考えてさえいるなら、無為に過ごすことも浪費ではありません。主体性や自主性があり、使命や目的をもっているなら、惰性であっても怠惰になりません。

 ニートとかフリーターの存在は、社会の歪みですが、それはわたしたち自身がつくりだしたものでもあります。スマイルズがいうように、「仕事が重荷であり懲罰でもある以上に、誇りであり名誉である」ためには、個々人がもれなくもつ才能を十分に発揮する場として仕事があるのだという合意が形成されなければなりません。企業の内部でも同じことです。

・仕事は、重荷か誇りか

 仕事が重荷になるか誇りになるかは、かならずしも仕事の内容ではありません。気にそまない仕事、誰にでもできる仕事、どちらかといえば、下積みの仕事、きたならしい仕事、こういった仕事の内容で、仕事が重荷になるのではありません。
 どんな仕事でも、そこには世の中に必要があり、技量を発揮する余地があり、人との交流の場があり、一つ片付けるたびに充実感を味わうことができます。

 また、自分の天職、使命にかかわるような仕事は、どんな下積みの仕事であろうと、自ら率先して行うことが、身のためになります。まず隗より始めよ、という格言のいう通りです。

 始業前に社員全員でオフィスの清掃をするという会社がありますが、これもすばらしいことです。清掃のような仕事環境づくりは、役職・性別・年齢をとわず、みなで行なうものです。それはすぐれて精神の問題です。

 いくつもの効用がありますが、教育学者森信三は、「 人間が謙虚になるための、手近な、そして着実な道は、まず足下の紙くずを拾うことから」といっています。また、全員であることの連帯感が生じ、互いに身近で自然なコミュニケーションが成立します。ひいては組織に対するロイヤリティというものすら、醸成されていくでしょう。

・配慮と法規制

 ステークホルダーとしての従業員には、多くの法的規制があります。なにより差別をなくし、人権を守ることについては、未来永劫に厳守していくという、企業としての社会的責任があります。
 不当な労働を排除し、心身の安全衛生を維持し、福利厚生と教育訓練の場を継続していくなどのことも、すべて同様です。

 それでも、もっとも大切なのは、当然の法の順守ということ以上に、その源となる精神をたかくもちつづけることです。それが適時、従業員への、有形無形の配慮につながっていきます。人権の前に人が互いに信じあうことにほかなりません。

 たとえば、労働安全衛生マネジメントシステムは、 従業員へ与えるかもしれない、具体的な負荷を回避することを目的としますが、それだけではありません。フール・プルーフやフェイル・セーフという、安全工学から、さらにその先にある、総体的なハザード(被危険性)を除去していくことを、方針とします。
 それは、原材料やエネルギーのサプライチェーンのハザード、製品の使用者にもたらすかもしれないハザードの回避という概念も含みます。

 すべての従業員は、同僚、同胞であり、すべての同胞のかかえる問題は、全員の課題です。あいさつや、時宜をえたおしゃべりは、奨励し、誰もが決してひとりではないという仕事とコミュニケーションが、全員で共有できるようにしたいものです。

 そしてそれぞれの仕事と使命があつまったものが、組織の使命となり、その共有がまた新しい使命をつくり、地球と社会へ貢献しているという確信が生まれます。

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