TRIPLE BOTTOM LINE Limited Liability Pertnership
トリプルボトムライン有限責任事業組合
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企業にとって、社会とはまず地域社会です。コミュニティのことです。それは、公器としての企業が、事業所として所在している地域社会です。本社ばかりでなく営業所としてまた製作所として、それぞれの地域に所在しています。
また、国内ばかりでなく海外においても、それぞれの地域に所在し、それぞれの地域社会に属しています。それぞれの地域社会は、それぞれの文化と慣習をもち、それぞれの問題とひずみを抱えています。
企業は、事業所として納税し、消費し、交通と物流を頻繁にし、地域の人を雇用して、地域社会の文化と課題とにふかくかかわりをもっています。
地域社会のサステナビリティ
国際社会とは
地域社会のサステナビリティ
企業が地域社会に属し、地域社会の文化と問題とにかかわりをもつということは、大きく二つの視点からみることが必要になります。
一つは、企業として地域社会になにができるのか、どう資することができるのかという視点です。もう一つは、企業として地域社会にどんな影響をあたえ、どんな負荷が生じているのかという視点です。一つは地域社会に資すること、もう一つはリカバリーという行為です。
もともとこれは、環境影響評価など、ステークホルダーアセスメントであり、地域社会に特定されることではありません。ただ、企業の使命と目的、存在意義が、社会になにをもって資するのかという命題であるとき、企業にとっては、地域貢献がもっとも重要なテーマということになります。
地域社会に資することは、これまでにも、文化・スポーツの振興、地域催事支援、従業員ボランティア、障害者福祉、奨学金、施設開放などのフィランソロピーがありましたが、それだけではありません。
まず、地域社会もまた、そこに生きる人たちと同じく、サステナビリティであろうとすることが、最重要のテーマになります。それは地域社会が、みずからの将来と次世代に資することだからです。
そして、地域社会の存続のために、まず再生可能なエネルギーと再生可能な資源への転換が求められなければなりません。浪費を律するというポリシーももたなければなりません。
そうしたアプローチは、地域の自然環境と都市景観、そして文化の、保全と再生というテーマを生みます。都市から、無駄と浪費をなくし、太陽と水と緑と、そして文化を、ひたすらとりこもうという行為にほかなりません。
ソーラー化と緑化、水辺化、そして文化施設等の規模の大小が、サステナビリティの指標になります。文化施設とは、公共施設として不足する図書館、楽団などへのバックアップです。これらが地域貢献の第一です。
・地域社会にどう資するか
サステナビリティのつぎに必要なアプローチは、いま社会のかかえる問題です。どんなことであれ、社会に起きているひずみは、低減し解消していかなければなりません。それが、地域社会がつねから要請するところです。
社会のひずみは、社会の機能不全から起こります。それをなんらか補うことができれば、少しでも社会へ資することができます。
たとえば、子どもを犯罪や事故からまもること、子どもの起こす犯罪と事故を抑止すること。企業のオリジナルな技術なかに、それらの予防に役立つことがあるかもしれません。
ニートなどの問題も、企業としてできることがあります。仕事そのもの、環境教育、モノづくり体験など、地域の子どもに対する学習の場を提供することです。施設の解放などもよいでしょう。
地域の停滞する商業などへの振興支援、お祭りなどへの後援も、多面的に資することになります。
コミュニティぬきではなにも成立しません。地域社会の問題は、地域社会がみずからかかわっていかなければならないのです。
それは、コミュニティの成熟というテーマです。半世紀前の日本のコミュニティは、それなりに成熟したものでした。いまはありません。
企業が資するということは、企業が、コミュニティをつねに念頭におき、必要と思ったことを率先して行なっていくことです。社内のボランティアとNPOとのコラボレーションなど、態勢づくりもたいせつになります。
・地域社会へあたえる負荷
地域社会に対して企業はつねからいくつもの負担を強いています。この負荷は、事業所の存在にともなうもので、雇用、交通、物流、サプライチェーン、資源・エネルギーのインプット・アウトプットにより発生します。したがって企業はこの負荷の低減と解消に取り組まなければなりません。
そもそもあたしい拠点をつくるということは、地域社会に負荷をあたえます。あたらしい雇用と消費ですから、地域社会は歓迎するでしょうが、反対する人たちもいます。雇用と消費を代償と考え、それで相殺されるとする考え方は間違いです。
あたらしい拠点はもちろん、過去のものも、その規模に倍する緑化、水辺化を地域社会に補填すべきでしょう。また、見通しを悪くし、犯罪や事故を助長するなど、拠点そのものが地域にあたえる影響は、きちんと対応・配慮しておかなければなりません。
その間、生産のための資源・エネルギーが外部から持ち込まれ、その廃棄物が大気・水系へと排出されます。地域への排出は、負荷ゼロという目標をめざさなければなりません。
物流、人的移動、サプライチェーンなど上下流域に対する配慮も必要です。これらには法規制もありますが、法律の順守は当然のことであり、つねにそれ以上の取り組みが必要です。
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国際社会とは
国際社会は、いくつもの地域社会が、いくつもの世界へと拡大したものです。資するところも、サステナビリティであり、社会のかかえる問題であり、社会に与えている負荷の低減と解消にほかなりません。
したがって、基本とするところは地域社会と異なるところはありませんが、認識としては、多様性 diversity 社会ととらえておく必要があります。とくに文化慣習の違いは、人の所作として理解しておくのが、最低限の礼儀です。所作の意味するところを知らなければ、知らずに侮辱してしまうことも起こりかねません。
ただ、国際社会の多様性に対してはそれだけでは十分ではありません。とくに宗教については、圧倒的なその重みを、理解をしておく必要があります。
・欧米の契約社会というくびき
日本は宗教においては多様性をもっています。多様性への基本的なスタンスは、多様性の存在そのものを理解することです。したがって気構えとして汎神論になり、無宗教的になります。
しかし日本以外の多くの国は、一神教です。信仰ばかりでなく考え方が一神論になるということです。
たとえば、最大多数の最大幸福という思想があります。これは唯一の神のもとでは、万人は平等であり、平等な人々はすべてひとしく幸福にならねばならないという考え方です。
ただし、それが不可能なら、最大多数の最大幸福をめざそう、それから外れた人がでてくるのはしかたがない、という考え方にもなります。
その結果、科学的という論法で、確率を重んじることになります。功利主義といいます。リスク論もこの一つで、0.001%の確率はゼロと考えてものごとを決めます。
論法として一貫性をもっていますから、納得する人も多いでしょうが、無意識に汎神論者である日本人は、どこかおかしいと思ってしまいます。価値観も一つではないと思っていますから、ただ一つの価値観というものを、心底から信じることができません。そもそも人も神も多様性のものなら、幸福もまた多様性のものなのです。
幸福を富みといいかえれば、この論法は納得できるのです。人性でなく経済の優劣ですから。つまり、功利主義は為政者の、それも経済的な便法です。欧米の社会が契約社会だという、ほんとうの意味です。
ここで課題となるのは、グローバルスタンダードとジャパンスタンダードの差違と兼合い、共存の問題です。
・グローバルスタンダードとジャパンスタンダード
かんたんにいえば、グローバルとは文明のことです。文明とはいまや世界に一つのものです。古代には四大文明がありましたが、孤立していたために、世界が四つあったのです。
したがってグローバルスタンダードとは、世界は一つの時代の基準、標準ということになります。ISO(国際標準規格)は、そのまま翻訳されてJIS(日本工業規格)となっています。
フィルムの工業規格から、ISO9001QMS(品質マネジメントシステム)、ISO14001EMS(環境マネジメントシステム)など、マネジメントシステム規格があります。ほかにIAS(国際会計基準)なども成立しています。
ちなみに国際 international とグローバル global とは、国々共通のということと、一つの地球世界という、視点の違いです。世界の、と冠するものがグローバルです。したがって国際とついていても、グローバルであるものがいくつもあります。
世界は一つという視点は、とくに国家、グローバル企業を比較するときにたいせつです。典型的な例が国際会計です。現在、アメリカ会計基準は国際会計と同等といっていいものですが、日本会計基準は、旧来の日本の慣習をのこしています。
したがってグローバルな比較対照ができません。現状の日本では、CSR先進企業から、ようやくアメリカ会計基準に準拠しはじめているというのが実情です。
CSRは、企業がすべてのステークホルダーの要請に応えるものです。対応し配慮するものです。多様なステークホルダーが存在し、ステークホルダーも多様な人たちから成っているのです。地域社会も国際社会も同じです。
したがって品質や環境、多様性(人権)や会計、安全やコンピュータ言語は、すべてグローバルであるべきです。そこに、ヨーロッパもアメリカも、アジアもアフリカもありません。
国際社会への配慮の一つとして、それらスタンダードの順守と普及につとめるのもCSRです。
すべてが定まってはいませんから、たとえば安全基準などは、日本の基準がグローバルスタンダードであるべきでしょう。とくに食品、BSE基準などは、ジャパンスタンダードをグローバルスタンダードにすべきです。先のように欧米の功利主義のカバーできないところです。
・そしてフリーアクトへ
のこされた国際社会とのかかわりが、フリーアクトです。CSRとは、の項目、free act の項を参照してください。
グローバルな時代ですから、世界の起きている出来事は、すべて他人事ではありません。戦争は世界の機能不全から起ります。どこの国の災害も、世界の災害です。アフリカの飢餓と貧困は、世界の飢餓と貧困です。アマゾンの森林消滅は、世界の生態系破壊です。
日本がとっくのむかしから、アジアの日本でなく世界の日本である以上、ほとんどの日本企業も、グローバル企業なのかもしれません。日本にしか拠点をもっていなくても、そのエネルギーも資源も世界からもらい、その製品・サービスも世界へ供給しているのです。
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